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東京高等裁判所 昭和43年(う)1076号 判決 1969年1月31日

被告人 春日恒三

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人小畔信三郎作成名義の控訴趣意書及び控訴趣意補充申立と題する書面に記載されたとおりであるから(弁護人は、第一回公判において、控訴趣意第一は、原判決には事実の誤認があるとともに法令の適用の誤りがあるという趣旨である旨釈明した。)、これを引用し、これに対し、当裁判所は次のとおり判断する。

論旨は、要するに、原判決は、被告人が業務上の注意義務を欠いて自動車を進行させた過失により偶々転倒した米田債喜を轢過して即死させた事実を認定し、これを刑法第二一一条前段の罪に問擬している。しかし、(一)本件事故の発生を予測することは不可能であり、それを防止する手段もないのであるから、被告人には結果を予見し、これを回避すべき注意義務はなく、従つて、本件事故は被告人の注意義務違反行為によつて発生したものではなく、専ら米田の不注意によつて発生したものであり、また、(二)被告人の車両は米田を轢過しておらず、米田は転倒して被告人の車両の左後車輪のタイヤホイルに後頭部を打ちつけ死亡したものであり、よしんば轢過したものであるとしても、米田は転倒の衝撃による傷害でその前既に死亡していた疑いがあるのである。以上、原判決には事実を誤認するとともに法令の適用を誤つた違法があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないというに帰する。

よつて、記録を調査し、当審における事実の取調べの結果をも加えて考察すると、先ず、原判決の認定した事実は次のとおりである。即ち、自動車運転の業務に従事していた被告人は、原判示日時頃普通貨物自動車を運転し、比較的狭い原判示道路を時速約一〇キロメートルで進行中、進路前方左側道路上に逆駐車していた普通貨物自動車の積荷に麻のロープをかけ、その外側後車輪のタイヤに右足をかけ背を丸めながら中腰になつて力を入れ、ロープを直下に引き締めていた米田債喜を認め、その背後を通過しようとしたのであるが、かような場合米田がロープから手をすべらし或いはロープが切れて道路の中央に転倒などするかも知れないことは十分予測できるのであるから、自動車運転者としては警音器を吹鳴して警告を与えるとともに、右自動車との間にできるだけ間隔をとり、最徐行するなどして危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、危険がないものと軽信して漫然同一速度のまま、同人の背後直近を進行した過失により、偶々締めていたロープが切れ道路上に転倒した同人を自車左後車輪で轢過し、同人に原判示の傷害を負わせて即死させたというのである。然して、原判決挙示の証拠によると、右の判示事実は、注意義務ないしその懈怠の点を除きこれを認めることができる。尤も、原判決は、警音器吹鳴の義務があることを認めているのであるから、米田は被告人の車両の進行に気付いていなかつたものとしているもののようである。然し、この点について、被告人の車両に追尾してその後方を進行していた自動車の運転者である証人高良和享は、原審及び当審公判において、米田はロープを両手で握つたまま終始手を休め、立つていて、被告人の車両の方を見ていた旨供述しており(なお、被告人及び被告人の車両の助手をしていた証人久保田茂は、当審公判において、右と同趣旨の供述をしているが、同人らの原審公判における供述に徴すると右の供述は証人高良の供述にことさら符合せしめたものではないかとの疑いを払拭し得ないのである。)、右の米田は終始手を休めて立つていたという点は、証人高良は被告人より更に手前から前方の米田の左側面をべつ見したものと認められるから、米田の行動を静止している状態に誤認する虞れがないとはいえないことを考慮し、また、原判決挙示のその余の証拠、なかんずく原判示にそう被告人の司法巡査(二通)及び検察官に対する各供述調書と比照するとき、たやすく措信することができないが、右の米田は被告人の車両の方を見ていたという点は、証人高良がべつ見したに過ぎないとしても誤認する虞れの少いことであり、米田が作業を継続していたという事実と矛盾することでもなく、記録を精査しても特に同証人が誤認したものと断定するに足る証拠もないのであるから、それを排斥すべき理由はなく、従つて、これによつて米田は瞬間的にもせよ被告人の車両の方を見、予めその進行に気付いていたものと認めるのが相当である。しかも、記録により認められる原判示道路は比較的狭いのに自動車の交通はかなり頻繁であつたこと、米田は予てより自動車の運転に従事していたものであることを考えると、米田は作業中でも自動車の通行に気を配り、予め被告人の車両の進行に気付いていたと推認するのが合理的であり、少くとも被告人の大型車両が接近して背後を通過しようとした頃はエンジンの音その他の気配によつておのずから被告人の車両の進行を感知していたものと推認し得るのである。殊に本件事故が、加害車両の先端部より約半分位が被害者の背後を通過しつつある時に惹起していることに鑑み、一層その感を深くするのである。なお、付言すると、原判示道路の巾は一〇・八三メートルであるが、左側端に米田の普通貨物自動車が逆駐車し、同所の右側端には小型トラツク(二台位)が駐車していたので、通行可能の幅員は両車間の約五・七〇メートルであつたこと、被告人の車両の巾は二・〇五メートルであること、当時対向車があつたとしても、被告人の車両が米田の車両の脇を通過した際には同時にすれ違う対向車はなかつたことが認められる。

そこで、進んで、以上のような情況の下において、果して自動車運転者に原判示のような注意義務があり、被告人がそれを怠つたものであるか否かの点について考究すると、自動車運転者には、一般に、接触やあおりによる事故の発生することを考え、それを防止するため適正な速度で、適正な間隔を保つて進行すべき業務上の注意義務があることは多言を要しないところであるが、本件のように締めていたロープが突然切断して起る転倒事故までも予測し、これによる人身事故の防止措置を講ずべき注意義務があるとするのはいささか過大な要求であつて、寧ろかかる注意義務はないと解するのが自動車交通の実情にもそうゆえんである。蓋し、原判示のような轢過事故は、車両の速度や間隔に注意することによつてこれを防止することが可能であることは勿論である。然し、引き締めたロープが切れたり、ロープを握つている手がすべつたりして転倒等の事故を起すということは、絶無とはいえないとしても殆んど稀有なことであり、従つて、接触やあおりによる事故に注意しながら進行している自動車運転者にとつて、更に右のような原因による転倒事故を予測するということは、特にその危険を窺わせる事情が存しない限り、全く不可能なこととはいえないまでも極めて困難なことであり、寧ろ不可能に近いことといつても強ち過言ではないのである。してみると、かような不測の事態まで予測すべきことを要求して、結果予見の義務の存在を肯定するのは、責任の範囲を越えた過大な要求であつて、容認し難いことであり、従つて、それを前提とする結果回避の義務も認められず、その限りにおいて過失は成立しないものといわなければならない。よしんば、右の結果の予見は可能であるというべきであるとしても、そのように稀な、しかも本来相手方において防止すべきもので、かつ、相手方において容易に防止できる危険については、寧ろ相手方が危険防止の注意を尽すべきものであつて、自動車交通の実情からいつても、自動車運転者は、通常発生することが予測される危険の防止に配慮しながら進行すれば足り、極めて予見不可能な事故の発生にまで注意義務を尽すべきいわれはなく、従つてその行為は過失行為というに当らないというべきである。本件の場合、被告人は、前記の情況の下で、殊にロープが切れて転倒するなどというようなことを予測し得るような特段の事情もなかつたので、米田の背後を無事通過できるものと考え(被告人の司法巡査に対する昭和四二年五月二七日付供述調書中に、被告人はロープが外れたり切れたりして米田が転倒するかも知れないことを一度は考えたという供述があるが、右は、被告人の司法巡査に対する同月二五日付供述調書及び検察官に対する供述調書中の被告人は右のようなことは考えないで進行した旨の供述と比照するとき、到底措信できない。)、それまでの時速約一〇キロメートルのままで、また、それまでの道路中心より一メートル余り右に寄つた進路のままで進行し、米田の車両との間に約八〇センチメートルの間隔を置いてその右脇を通過しようとしたのであるが、右程度の速度及び車間隔は、接触やあおりによる事故を惹き起す虞れはなく、その限りにおいて被告人の進行方法は適正であつたのであり、また、前記のとおり、米田は予め被告人の車両の進行に気付いていたか、少くとも被告人の車両が接近し背後を通過しようとした頃はこれを感知していたものと推認し得るのであるから、殊更被告人が警音器を吹鳴して警告するということは必要ではなかつたというべきである。それ故、被告人は必要な注意義務を尽し、合法適正に運転したものであつて、それを非難することはできない。即ち、被告人に対し原判示のような事態を予測し、これが防止措置を講ずべき注意義務を要求し得ないこと前記のとおりであるから、被告人がこれを予測せず、その防止措置を講じないで進行したとしても、それをもつて過失行為ということはできないのであつて、ひつきよう、本件事故は相手側の不注意ないし不可抗力によるものであり、被告人が更に徐行し、かつ、右に寄つて進行することが望ましかつたとはいい得ても、被告人は本件事故に対する過失の責を負わせることはできない。してみると、前記のとおりの注意義務があるとして被告人にそれを怠つた過失があつたことを認定し、被告人の所為を刑法第二一一条前段の罪に問擬した原判決には、事実を誤認するとともに法令の適用を誤つた違法があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条、第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により次のとおり自判する。

本件公訴事実は、「被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四二年五月二五日午後三時四三分頃、普通貨物自動車を運転し、東京都文京区本郷三丁目二六番三号先路上を東から昌平橋通り方面に向け時速約一〇キロメートルで進行中、折柄進路前方左側道路上に駐車していた普通貨物自動車の外側後車輪のタイヤに右足をかけ、右自動車の積荷に麻繩のロープをかけ背を丸めながら中腰になつて力を入れ、ロープを直下に引き締めていた米田債喜(当二二年)を認め、その背後を通過しようとしたのであるが、かような場合作業員の米田においてロープから手をすべらしたり又はロープが切れたりして道路中央に転倒することなどがあるかも知れないことは十分予測できるのであるから、自動車運転者としては警音器を吹鳴して警告を与えるとともに、右自動車とできるだけ間隔をとつて最徐行するなど、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、不注意にもこれを怠り、その危険なしと軽信して、漫然同一速度のまま同人の背後直近を進行した過失により、偶々締めていたロープが切れ路上に転倒した同人を自車左側後車輪で轢過し、よつて同人に頭蓋骨骨折、脳挫傷等の傷害を負わせ、その傷害により同所で同人を即死するに至らしめたものである。」というのであり、右は刑法第二一一条前段の罪に該当するというのである。然し、右の事実のうち、注意義務、その懈怠の点を除くその余の事実は証拠によつてこれを認めることができるのであるが、前記のとおり右のような業務上の注意義務があつて、被告人にそれを怠つた過失があつたということはたやすく断定し難いのであり、他に被告人に過失があつた事実を認めるに足る証拠も存しない。従つて、本件においては犯罪の証明がないことに帰し、被告人は無罪であるから、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 松本勝夫 石渡吉夫 藤野英一)

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